西川寅吉

脱獄阻止、それは刑務所における永遠の課題ではないでしょうか。

鉄壁の牢獄と謳われたアメリカのアルカトラズ刑務所でさえ、囚人の脱獄を許した例がありました。

各地の牢獄に収監されては脱獄を繰り返した、日本有数の脱獄王「五寸釘寅吉」の人生をご紹介します。

 

脱獄人生の始まりは?

西川寅吉日本の刑務所史上、最も多くの脱獄を成功させた人物と言えば、「五寸釘寅吉」です。

本名は西川寅吉、安政元年(1854年)の幕末期に、三重県多気郡御糸村に生まれました。

生まれながらに高い身体能力を持っていたことが、後の脱獄人生に大きく関わってきます。

貧しい農家の四男で、12歳の時に父親と死別。

後を継いだ長男を手伝って、農作業を行っていました。

家族関係については、長男と折り合いが悪く、かわいがってくれる叔父と親しかったようです。

寅吉の脱獄人生の始まりは、長男に暴行を加えたためとも、叔父の仇討ちしたためとも言われています。

 

叔父の仇討ち説

叔父の仇討ち説では、寅吉の牢獄入りは14歳のとき。

博打で叔父が殺され、仇の人物を刀で襲撃したのち、家に火を放ったとされています。

地元三重の監獄送りとなったものの、仇討ちという行為が受刑者に好意的に受け止められます。

しかし、叔父の仇が生きていたことを知り、周囲の受刑者の助けを借りて初の脱獄に成功するというものです。

 

長男への暴行説

長男への暴行説では、嫁を娶った21歳のときです。

長男と激しい口論となった末、暴行を加え、三重の監獄に送られます。

監獄帰りとなった寅吉は農業に身を入れることなく、ヤクザ仲間と強盗事件を起こし、監獄所を出たり入ったりの生活となります。

この場合、収監中に地主が妻子を虐げているという噂を聞き、横浜の監獄で初の脱獄をしています。

初の脱獄に関して違う説が存在するのは、幕末から明治初期という、動乱の時代の出来事であったためかもしれません。

 

異名の由来と脱獄記録

西川寅吉寅吉が成功させた脱獄回数は6回、日本最多の記録となります。

「五寸釘寅吉」の異名がつけられたのは、初回の脱獄を成功させた後のことです。

三重県松坂市の質屋に盗みに入ったところ、捜索中の警官に発見され、2階から飛び降り逃走。

しかし、ちょうど着地点に、五寸釘が刺さった板がありました。

勢い良く踏み抜いた寅吉は、足に板を縫い付けたまま、十数キロも走り続けたと言います。

この出来事が「五寸釘寅吉」の由来となったのです。

しかし、痛みをおして逃亡していたにも関わらず、数日後には賭博仲間の家に潜伏していたところを逮捕され監獄へ逆戻りとなります。

寅吉の刑期には、脱獄罪が加算され無期懲役になりますが、看守の隙をついて二度目の脱獄を行います。

このときの逃亡生活は長く続かず、すぐに逮捕され、北海道の空知収監所に送られます。

再度の脱獄を警戒され、鉄球の足かせを使用することを余儀なくされますが、炭鉱作業中に仲間が看守に暴行。

好機とばかりに、三度目の脱走に成功します。

2年間の逃亡生活を経た後、明治22年1月25日に強盗・窃盗罪で逮捕されます。

罪を重ねすぎて、さすがに死刑は免れられないと考えた寅吉は、偽名をかたることに。

裁判所は、寅吉とは気づかないまま、横浜収監所送りとします。

ところが、寅吉の顔を知る刑務官が転勤してきたことから、寅吉であることが発覚してしまい、北海道の監獄所への送致が決まります。

北海道月形町にある樺戸監獄に入獄した寅吉は、ここで三度もの脱入獄を繰り返すことになります。

中でも有名なのが、6.5メートルの塀を囚人服一つで乗り越えた逃走劇です。

鉄球の足かせがつけられる瞬間に、看守を蹴り飛ばし気絶させると、着ていた囚人服に水を染み込ませました。

そして囚人服を塀の高いところに叩きつけ、僅かな吸着力を利用して塀を登りきったのです。

高い身体能力を持つ寅吉だからこそ、なせた技なのでしょう。

この脱獄から1年後に、新潟で再逮捕。

西川寅吉

北海道の監獄へ戻されますが、この時を境に脱走を試みることは無くなりました。

このときの寅吉は40歳、体力の限界があったのかもしれません。

その後は、網走刑務所を最後に模範囚として服し、大正13年9月3日に刑期を短縮しての出所が認められるまでに至りました。

出所時の年齢は、71歳。

監獄生活を終えた後は、「五寸釘寅吉一座」を結成して全国巡業を行います。

大盛況の一座でしたが、時の流れとともに忘れさられ廃業、晩年は三重県多気郡で息子に面倒を見られながら過ごします。

昭和16年に87歳で永眠します。

 

五寸釘寅吉事件~日本の刑務所史上、最多の脱獄王~ まとめ

6回もの脱獄を成功させ、模範囚として出所した「五寸釘寅吉」。

死の直前に「西に入る夕日の影のあるうちに罪の重荷を降ろせ旅人」という句を残しています。

脱獄王を呼ばれた人物ならではの言葉なのかもしれません。

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