首里城の再建についてニュースで話題になっているのは瓦職人の問題です。
首里城に使われている瓦は希少な土を原料としているようで、入手が困難だといいます。
また、当時の職人は他界しているので再現不能というのです。
他界していると言われていますが、そんな貴重な技術を持っていた瓦職人とは、誰なのか気になるところです。
そうして探しているうちに、いま、ご存命かどうかはわかりませんが、首里城の建設にたずさわった瓦職人の山城富凾さんのインタビューがありましたので少しご紹介します。
首里城の瓦職人は誰? 山城富凾さんが語る
瓦職人の山城富凾さんは、昭和7年生まれ国頭村桃原の出身です。
山城さんは、17歳の時に首里城の屋根葺き職人であった島袋正次郎【しまぶくろ せいじろう】親方のところに弟子入りしました。
当時、首里城建設にたずさわった屋根葺き職人は、島袋家、大城家、比嘉家がいたといいます。
この三家がいわゆる名門だったそうですが、大きな工務店というわけでもなく、親方と数人の弟子たちで編成された小さな集団だったそうです。
瓦職人が存命知れおらず首里城の再現不可能というのは、あまりにも残念です。
瓦職人と屋根葺き職人は、また違った仕事ですが、なにか手がかりはないのでしょうか。
誰もいなくなった瓦職人
山城富凾さんはこうも言っています。
現在では、瓦葺きの屋根の住宅を建てると固定資産税が高くなります。
だから、税金の安いコンクリート住宅を建てるようになり、瓦葺きの仕事が激減することで、職人も減ったというのです。
この税金を免除する、もしくは減額というような配慮があれば、仕事をすることができるので後輩たちに技術を伝えることもできるのにと、なげいていたようです。
たしかに瓦葺きの仕事がなくなれば、技術を伝えることもできませんね。
首里城の瓦職人は誰? まとめ
結局のところ、首里城の瓦は再現不可能なため、焼け残った瓦を可能な限り再利用するそうです。
ということは、再び赤瓦になるということですね。
そもそも首里城の瓦が赤かったのか黒かったのかすらはっきりしていないのに。
「首里城の瓦職人は誰?」この記事は以下の記事を参考にしています。
沖縄古民家インタビュー
話し手:山城富凾(昭和7年生まれ)
参考URL:http://okinawa-kominka.com/cms/various/1157/
画像出典:琉球新報