青森の小湊といえば、昔から白鳥の渡来地として有名です。
遠浅の海岸に、シベリア方面から渡ってくる白鳥の、のどかな風景が想像できますね。
しかし、この小湊には、大蟹にまつわる不思議な民話も伝わっています。
白鳥の見せる平和な風景とは異なる、少し血なまぐさくて、悲しい話です。
津波のあとに現れた大蟹
ある年、青森の小湊に悲劇がおとずれました。
大きな津波が来襲し、さまざまな被害を受けたのです。
しかし、それは本当の悲劇の幕開けに過ぎませんでした。
波に建物をさらわれ、更地になった陸上に、一匹の巨大な蟹が現れたのです。
八尺(約2.4m)の甲羅に、長大なハサミと脚。
身体すべてを含めると、全長5mはあろうかという大蟹です。
生き残った村人たちは、この大蟹こそが津波の原因であると考えました。
それぞれ棍棒を握り、瓦礫を手にして、大蟹へと打ちかかります。
怒りに燃えた村人と大蟹の戦いは、それは激しいものでした。
あと少しで討ち果たせるほどに、憎い大蟹を追い詰めた村人でしたが、あと一歩のところで海に逃げられてしまいます。
しかし、この争いは、ここで終わることはありませんでした。
後日、村の男たちが漁に出ている合間に、再び大蟹が現れたのです。
戦うすべのない女子供が犠牲となり、その場で、巨大なハサミに、チョキンチョキンと首を落とされていきました。
先日の恨みを晴らさんとばかりに、小湊を荒らし回る大蟹。
陸の上は、女子供の流した血で、真っ赤に染まったと言います。
漁を終えて帰ってきた男たちの悲しみは、いかほどだったのでしょうか。
変わり果てた家族の姿に、ただ呆然とするばかりだったのかもしれません。
やがて男たちは、命に変えても大蟹を討伐することを決意します。
来る日も来る日も、海をにらみながら、大蟹が再び姿を現すのを待ち続けたのです。
討伐の結果は
仇の大蟹を待ち続ける男たち。
ある月夜の晩に、ついに陸上にあがった大蟹の姿をみつけます。
総力を挙げての戦いで、大蟹の右のハサミを叩き落とすほどに追い詰めますが、それでも仕留めきることはできませんでした。
大蟹は、片腕になりながらも、海ヘと逃げおおせていったのです。
陸に残された、右のハサミは、大人の手を二つ合わせたものよりも大きかったといいます。
次こそはと、気合を入れる男たち。
終わりのない戦いが続くのかと思われましたが、この出来事は、意外な結末を迎えることとなります。
総力をあげての戦いから数日後、丘の上にたてられた、女子供の墓の前に大蟹が姿を現したのです。
遠巻きに見つめる男たちの前で、ボロボロになった大蟹は、墓に向かって詫びるように、泡を吹きながらじっとしているだけだったのです。
まるで泣いているかのような姿に、男たちの胸には、悲しく侘しい感情が湧き上がってきました。
そして、誰からともなく「もうやめよう・・・」とつぶやき、泣きながら大蟹を眺めるだけとなりました。
やがて大蟹は、のっそりと身体をもちあげ、寂しげに海へと戻っていったといいます。
小湊に伝わる大蟹伝説 まとめ
小湊では、その後も津波が来るたびに、大蟹が姿を見せたと言われています。
落とされたハサミは再生し、その都度、漁師たちと争ったそうです。
墓の前で泣くように詫びていた大蟹が、なぜたびたび津波を起こすのか。
いまだその謎は明らかにされていないのです。