山際啓之

年末も近づくと、1年間の世相を反映した、さまざまな言葉が新語・流行語大賞として選出されますよね。

「オー・ミステーク!」、ある事件をきっかけに、こんな流行語が人々の口にのぼった年がありました。

オー・ミステーク事件とも、日大ギャング事件とも呼ばれた出来事です。

 

オー・ミステーク事件の概要

山際啓之事件が起こったのは、昭和25年9月22日のこと。

日本大学の職員3名が、総額191万円の職員給料を輸送中に襲撃され、現金を強奪されるというものでした。

強奪犯の山際啓之(やまぎわひろゆき)は、日大本部の運転手として勤務していた当時19歳の少年でした。

 

「ヘイ・ストップ!」

現金を輸送していた日大職員の車は、大学に戻る途中、山際啓之少年に呼び止められました。

輸送車の運転手は、山際少年が同じ大学に務める同僚であったことから、気軽に停車し同乗を許してしまいます。

しかし、山際少年のへの信頼は、最悪の形で裏切られることになります。

山際少年に、ジャックナイフを突きつけられ、大手町労働省前で停車させられる運転手。

3名の職員のうち、1名は右首筋を切られ重傷。

他の2名も車から放り出され、現金191万円は、車とともに強奪されてしまいます。

その後、丸の内署に通報が入り、強奪犯の捜索が始まります。

大手町の富士銀行前に乗り捨てられた車が発見されますが、山際少年の足取りは途絶えてしまいます。

 

オー・ミステーク事件の顛末

山際少年が、日大の現金を強奪した事件の背景には、同大学文学部教授の娘、Sさん(当時18歳)との交際問題がありました。

教授に娘との交際を反対されていたことから、二人の逃亡資金として、事件を計画したのです。

山際少年は、日大運転手の業務をしていたことから、給料の輸送ルートを把握。

9月22日に犯行に至りました。

犯行後、Sさんと夫婦を装いながら、逃亡生活に入ります。

そして、日系2世のアメリカ人と称して、東京・品川区に部屋を借りることに成功。

Sさんとの同棲を始め、服飾品やダブルベッドなどの購入で、わずか2日間で30万円を使い込みました。

この時、二人の住む下宿の大家が、ボストンバッグの中に大金が入っているのを目撃します。

現金強奪事件の犯人ではと疑った大家が、警察に通報したことで事件に終止符が打たれました。

事件開始から2日後の9月24日のことです。

山際啓之警察に逮捕される際、山際少年は、Sさんに向かって「オー・ミステーク!」と手を広げて連発します。

この言葉はメディアを通して一躍、流行語となりました。

「オー・ミステーク事件」と呼ばれるようになった由来です。

山際少年は、取り調べにおいても英単語を交えて供述するなど、アメリカ人に対する憧憬が並外れて強かったと言われています。

裁判の結果、山際少年には懲役7年以下の不定期刑。

ともに逃亡したSさんには、懲役2年・執行猶予3年の判決が下されました。

 

まとめ

オー・ミステーク事件は、大卒の初任給が4千円ほどの時代の出来事。

未成年の起こした衝撃的なこの事件は、戦後の反社会的な若者による犯罪を意味する、「アプレ・ゲール犯罪」として有名です。

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