ラッキーゾーンといえば甲子園球場に設置された柵で囲まれたホームランゾーンですが、現在は撤去されています。
そのため、ラッキーゾーンという言葉は聞いたことがあっても、実物を見たことがない方もおられるのではないでしょうか。
特に人気球団の阪神タイガースの本拠地でもありますし、全国高校野球の聖地ともなっていますので、野球ファンなら知っておきたいのがラッキーゾーンです。
さて、5月26日はラッキーゾーンの日ということですが、このラッキーゾーンが最初に設置された日を記念して制定されました。
そもそも、ラッキーゾーンは何故設置されたのか、またラッキーゾーンが生んだドラマなどをご紹介していきたいと思います。
野球場の大きさは同じではない
プロ野球は公式の試合なわけですから、野球場の広さにおいても公式のルールがあるはずです。
ということで、一般的な野球場のサイズを調べてみることにしました。
サイズはマチマチで、公式に発表されていない野球場もあるので、ブログ「You Look Too Cool」での計算を参考にしてみます。
名称 | 両翼 | 中堅 | 概算面積 |
東京ドーム | 100 | 122 | 11,684 |
神宮球場 | 97.5 | 120 | 11,304 |
横浜スタジアム | 94 | 118 | 10,875 |
ナゴヤドーム | 100 | 122 | 11,684 |
甲子園球場 | 95 | 118 | 10,930 |
広島市民球場 | 101 | 122 | 11,684 |
札幌ドーム | 100 | 122 | 11,684 |
宮城球場 | 102 | 122 | 11,684 |
西武ドーム | 100 | 122 | 11,684 |
千葉マリンスタジアム | 100 | 122 | 11,684 |
大阪ドーム | 100 | 122 | 11,684 |
福岡ドーム | 100 | 122 | 11,684 |
平均 | 99 | 121 | 11,512 |
(資料出典:https://stabucky.com/wp/archives/3842)
野球場の平均は両翼が99メートル、中堅まで121メートルとなっています。
左右中間は116メートルというのが標準的なサイズともいいます。
ここで何かおかしな点があるのに気づきますね。
そうです、野球場の大きさはそれぞれ違っており、そのサイズはマチマチなのです。
どうしてサイズがマチマチなのか調べてみると、野球の発祥が各町の広場で行っていたスポーツだということです。
つまり、あちこちの広場で開催されていたため、サイズを統一しようという考えはなかったようです。
陸上競技の場合、100メートル走だったらきっちり100メートル必要ですよね。
正確性がなければ競技になりません。
しかし、野球の場合は、公平性さえあれば、正確性を必要するスポーツではないため、サイズを統一する必要はなかったというのです。
とはいえ、一応規則はあります。
規則によると、両翼まで320フィート(97.534m)、中堅まで400フィート(121.918m)以上の広さが望ましいということが書かれているようです。
ラッキーゾーンが設置された理由
ラッキーゾーンは外野のフェンスから手前に設置されるホームランゾーンですが、これは広すぎた球場でホームランが出にくいため、設置されたといいます。
しかし、先程の球場の広さを思い出してください。
そうです。 甲子園球場はそんなに広くないのです。
これはどういうことかというと、甲子園球場の歴史にありました。
阪神甲子園球場は大正13年(1924年)に建設されました。
建設当初は、甲子園球場という名称ではなく、陸上競技場としての使用も考慮され、甲子園大運動場と呼ばれていました。
陸上競技を念頭に置いたため、他の球場と比べるとかなり大きなものだったようです。
昭和7年(1932年)に日米野球が行われた際に、メジャーリーグ選抜として出場していたベーブ・ルースは「この球場は大きすぎる」と言った話は有名です。
確かに、大正時代の写真を見てみるとすごく広いのがわかります。(写真出典:ウィキペディア)
それもそのはず、当時の甲子園大運動場の中堅部分は直線的で、両翼は110メートル、左右中間では128メートルもあったのです。
一般的な野球場と比べてみると、左右中間の懐が異常に深いことがわかります。
当時のホームランというと、ほとんどがランニングホームランだったそうですが、当時の阪神の4番打者・景浦將(かげうらまさる)選手は平然と柵越えのホームランを打っていたそうです。
しかし、この巨大な球場では、野球のひとつの見せ場でもあるホームランが出にくく、野球ファンとしてはつまらないという理由から昭和22年(1947年)5月26日にラッキーゾーンが設置されました。
今までは外野フライだった打球もこのゾーンに入ればホームランとなることから「ラッキーゾーン」と名付けられました。
プロ野球での華となったホームランですが、当時は高校野球の時には取り外していました。
しかし、昭和24年(1949年)の夏の大会以降、ラッキーゾーンはそのまま設置され、高校野球にも取り入れられることとなりました。
甲子園でのラッキーゾーン設置が初ではありますが、甲子園以外にも初期に作られた球場は広すぎて後にラッキーゾーンを設置した球場があります。
当時の明治神宮野球場(現在の神宮球場)と西京極球場です。
神宮球場は昭和37年(1962年)に設置されましたが、昭和42年(1967年)に撤去され、わずか5年間だけの設置となりました。
西京極球場でも昭和62年(1987年)に撤去され、残る阪神甲子園球場でも平成4年(1992年)には撤廃されました。
ラッキーゾーンによって生まれたドラマ
ラッキーゾーンから生まれたドラマといえば、ホームラン王争いでしょう。
言わずとしれたホームラン王・王貞治の全盛期に、阪神タイガースの田淵幸一が王貞治を追い詰めるドラマです。
当時ホームラン王であった王貞治から阪神タイガースの田淵幸一にホームラン王を奪取してもらおうと、ラッキーゾーンを1メートル手前に設置したそうです。
甲子園球場は阪神タイガースのホームグラウンドであるため、当然の計らいなのかもしれませんが、ちょっと面白い逸話ですね。
また、高校野球でもスターが誕生しました。
「KKコンビ」と呼ばれたPL学園の桑田真澄と清原和博です。
KKコンビの打撃は鋭く、二人してアベックホームランを放つのですが、桑田選手のホームランはラッキーゾーンに入ったものでした。
ちなみに、ラッキーゾーンが撤去されてから初めてのホームランを放ったのは星稜高校の松井秀喜選手でした。
これもまた、ひとつのラッキーゾーンドラマではないでしょうか。
後に、甲子園球場のラッキーゾーン復活が噂されましたが、元・阪神タイガース監督・岡田彰布氏は「ラッキーゾーンをつくるより本当の強打者を作ることが先だ」「阪神の現状の打線力をそのままあてはまれば、相手球団の打線の恩恵になることの方が予測される」と反対の意向を示したといいます。