『君が代』記念日とは、明治26年(1983)8月12日に文部省が訓令として、小学校の祝祭日には選定された唱歌を歌うよう「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告しました。
この日を記念して『君が代』記念日としています。
「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」は8曲あり、『君が代』『一月一日』『紀元節』などの楽譜が収録されています。
簡単にいうと、当時の明治政府が祝祭日の儀式を執り行うよう小学校に指示したということです。
最初の『君が代』のメロディー
明治2年(1869)の7月にヴィクトリア女王の次男・エディンバラ公アルフレッド日本を訪問しました。
この接待を務めたのがイギリス公使館護衛隊歩兵大隊の軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントン氏です。
イギリスには、すでに国歌があり、各国を訪問した際には両国の国歌を演奏することが当たり前と思っていたフェントン氏は、日本に国歌がないことに驚きます。
そこで、フェントン氏は、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきだと提案し、自ら日本国の国歌を作曲したいと申し出ました。
選ばれた歌詞は、『古今和歌集』巻七賀歌巻頭歌に収録された和歌を出典としています。
この和歌は、国民みなが知っている歴史ある歌でしたが、古いこともあり「題名なし」「作者不明」というものでした。
この歌詞を元にフェントン氏は作曲をしましたが、やはりイギリスの軍楽隊が日本の国歌を作曲するには無理があったようです。
メロディーは現在の『君が代』とは全く別物で、どちらかというと日本的というよりは賛美歌に近い曲だったようです。
明治天皇の玄孫として知られ、テレビや各メディアで私達にも馴染みのある竹田恒泰氏のYOUTUBEチャンネルで、竹田氏がフェントン氏作曲のボツ作『君が代』を自ら歌って披露していますので、興味がある方は動画18分頃を目安に御覧ください。
現在の『君が代』の成立
イギリスの軍楽隊長フェントン氏が作曲した曲は、日本人には馴染めないという理由から日本国内の音楽精通者に作曲を依頼することになります。
このとき、白羽の矢が立ったのが宮内庁雅楽局伶人長の林広守氏です。
雅楽の歴史は、奈良時代までさかのぼり、日本国の儀式で演奏されてきた伝統的な音楽です。
日本雅楽の最高峰である宮内庁雅楽局の林広守氏を中心として奥好義、林広季らと合作して、現在の誰が聞いても日本的と感じるような『君が代』が完成しました。
ちなみに、雅楽は日本の重要無形文化財であり、ユネスコの無形文化遺産にも登録され、世界最古のオーケストラと言われる日本の伝統的な音楽を国歌にあてたのは大きな功績ではないでしょうか。
その後、『君が代』は国歌として親しまれてきましたが、平成11年(1999)8月9日に公布された「国旗及び国歌に関する法」により正式に国歌として法制化されることとなりました。