傘の日とは、日本洋傘振興協議会が制定した記念日です。
6月11日を傘の日と決めたのは、ちょうどこの頃は、暦の上での「入梅」にあたります。
入梅とは、いわゆる梅雨入りの目安のことで、この頃から傘が必需品になりますよね。
もちろん、洋傘の販売促進を目的としています。
入梅について詳しくは
⇒ 入梅と梅雨入りの違い
1989年(平成元年)に制定された傘の日ですが、販売促進の他に、傘の機能性やファッション性、使い方やモラルなどを普及する活動を行っています。
傘の歴史
傘の歴史は、皆さんが思っている以上に古く、古代エジプトやオリエント時代といいますから、紀元前3~4千年前というはるか昔のことです。
この頃の傘は、雨を避ける雨傘の役割ではなく、日傘として王朝や宗教儀式に用いられるといった権力を象徴する道具でした。
さらに、権力を象徴するために様々な装飾が施され、かなり重たかったといいます。
もちろん、この頃の傘は、自分でさすものではなく、付き人がさしていました。
平安時代にみる傘
日本に傘が入ってきたのは、安土桃山時代に堺の商人が豊臣秀吉に傘を献上したという記録や江戸時代に描かれた「源頼朝の放生会」を題材にした絵本に付き人が傘をさす姿が描かれていますので日本の歴史のかなでも古くから用いられてきたことがわかります。
千利休の茶会にも傘が登場しますが、この時代の傘はまだ日傘として使用されていました。
古くからとはいえ、仮に源頼朝の時代に傘が存在したとしても頼朝の生没年は1147~1199年ですので、傘の発祥からは4~5千年も遅れて日本は初めて傘の存在を知ったことになります。
黄どんす傘
雨具となる洋傘に関しては文化元年(1804年)の記述が「洋傘と特定できる最古である」といいます。
このとき、清(現在の中国)からの船が長崎に入港し、貿易をしていました。
その舶載品(船に載せた商品)の中に「黄どんす傘一本」との記述が、日本での洋傘の記述の最初といいます。
当時の「緞子(どんす)」とは、サテンのような光沢のある織物をさしていたようで、黄どんす傘は高級品だったことが解ります。
明治時代に入ると、貿易が盛んになり、洋傘の輸入本数も増加します。
この明治の文化開花により、庶民にも洋傘が普及したといわれています。
警察官は傘をさせない
せっかくの傘の日のお話ですから、傘にちなんだ雑学をご紹介します。
警察官って雨の日も帽子にビニールをつけてレインコートを着ていますよね。
傘を指している警察官をみたことがあるでしょうか。
なぜなら、警察官は支給されたものしか身に着けてはならないという服務規定があるからです。
この、支給されたものの中に帽子やレインコートは含まれますが、傘は含まれていません。
したがって、警察官は傘をさすことができないのです。
これは、自衛官や刑務官なども同様の規定により、傘をさすことを認められていません。
雨の中、傘もささずに市民の安全を守っている警察官の方が傘をささないのは、こういう理由だったのですね。