年老いた親を山へと捨てる。
日本には昔、そんな姨捨(おばすて)の風習があったと言われています。
その舞台として、最も有力視されているのが「冠着山(かんむりきやま)」。
信濃の国、長野県にそびえ、「姨捨山」の別名で知られる山です。
姨捨の風習にまつわる話
食料が乏しく、口減らしを目的として年寄りを捨てるという風習。
口減らしとは、限られた食料を食べる人数、すなわち口を減らすという意味で、二度と家には戻ってこられないよう、山の奥深くに置き去りにするというものです。
平安時代の中期に書かれた歌物語集『大和物語』は、姨捨の話について初めて触れたものとされています。
さらに、平安時代に書かれた回想録『更級日記』、逸話集『今昔物語』、14世紀には存在が確認されていた能の詞章「謡曲」にも、似た話が収められています。
近年では1956年に発表された、深沢七郎の短編小説『楢山節考(ならやまぶしこう)』が有名。
民間伝承されていた姥捨ての話を書いたもので、1958年と1983年に映画化されたことから、現在の姨捨の風習に対するイメージを浸透させたとも考えられる作品です。
このように、多くの作品で扱われてきた姨捨の風習。
果たして、「姨捨山」において実際に起こった出来事だったのでしょうか。
冠着山は姨捨山?
長野県の千曲市と東筑摩郡筑北村にまたがる、標高1,252mの冠着山(かんむりきやま)。
平安時代の中期に書かれた歌物語集『大和物語』に記述を発見することができ、日本で最も古い姨捨話の舞台となった場所と伝えられています。
「姨捨山」の別名を持つことから、おどろおどろしい雰囲気の山を想像しがちです。
しかし、実際には、月の名所として、古くから愛されてきた場所であったりします。
山頂付近からの月見は、「日本三大月見」の一つにも数えられるほどです。
山頂には、月夜見尊(つくよみのみこと)を祭神とした冠着山神社が祀られており、夏には蛍が美しいことでも知られています。
そんな美しい自然に囲まれる「姥捨山」。
日本各地に散らばる、姨捨山の話には、いくつかの系統があるので、ご紹介したいと思います。
親の無償の愛にフォーカス
口減らしのため、年老いた親が自ら、「私を山奥へと捨てなさい」と言い出す話です。
息子は、悩みに悩んだ末、親を山に捨てることを決意します。
年老いた親を背負い、山の奥へ奥へと進んでいく息子。
その道すがら、親が帰り道の目印となるものを用意していることに気がつきます。
なぜ目印をつけるのか、不思議に思って親に尋ねると、「お前が帰るときに、道に迷わないようにするためだ」という答えが返ってきます。
これから親を捨てようという息子のために見せた、親の愛。
強く心を打たれた息子は、親を連れて家に戻り、貧しいながらも幸せに暮らしました。
親が目印として用意するものは、白い花であったり折った木の枝であったりと、話が伝わる地域によってバリエーションが見られます。
しかし、親の無償の愛に、地域差は無いようです。
年寄りの持つ知恵をリスペクト
地域一帯を治める殿様が、「年老いて働けなくなった老人は、山に捨てるべし」というお触れを出した話です。
村の年寄りが次々と捨てられる中、どうしても親を捨てられなかった村人がいました。
家の床下に親を隠し、こっそりと生活を続けていました。
ある日、村人が住む国が、隣の国に攻め込まれることになりました。
殿様のもとには、「灰で縄を作ること。七曲りの竹の穴に糸を通すこと。この二つの問題が解けなければ国を滅ぼす。」という手紙が届けられます。
殿様と家来は、どんなに考えても問題を解くことができません。
そこで、問題の答えが分かるものを、国中から探すことにしました。
そして、見事に答えを示してみせたのが、家の床下に隠れていた、村人の親だったのです。
殿様は、豊富な知恵で国難を救った老人に深く感謝して、お触れを撤回します。
そして、「知恵を持つ老人を大切にすべし」という、新たなお触れを出したのです。
こちらのパターンにおいても、隣国に突きつけられる問題のバリエーションは、地域によって異なります。
しかし、そのすべては、老人の知恵によって解かれ、国は救われています。
老人の知恵
ここで姨捨山伝説で殿様が出した問題の回答はどうだったのでしょうか。
みなさんお解かりになりますか?
先述したとおり、問題のバリエーションは地域によって異なりますので、いくつかご紹介します。
灰で縄を綯う
灰になった縄を綯(よりあわせる)おうとしても灰は細かく砕けるだけですが、先にきつめに綯った縄を動かさず燃やしてやると綯った灰の縄ができます。
また、縄を塩水に浸けて乾かしてから燃やすと綯った形を維持しやすいそうです。
叩かなくても鳴る太鼓
太鼓は叩かなければ音が鳴りません。
しかし、叩くのは外からだけでしょうか?
ちょっと手間がかかりますが、太鼓の中に蜂を入れておいて、翌朝明るいところへ持って出ると蜂が目を覚まして暴れだします。
これによって叩かなくても鳴る太鼓ができるのだそうです。
曲がりくねった竹の筒に縄を通す
曲がりくねった竹に縄を通そうとしても縄の先が思うように進みません。
しかし、糸を結びつけた蟻を用意し、曲がりくねった竹の先に砂糖を置けば、蟻はその砂糖めがけて曲がりくねった竹の筒を通り外に出ます。
そうやって通った糸に縄を縛り付けて引けば曲がりくねった竹の筒に縄が通るということです。
太さの均一な丸い棒の、根か先か調べる
普通は根っこが太く、先に行くに従って細くなる木の棒ですが、この木の棒をしばらく水に浸けると沈むのが根で浮くのが先です。
また、流れのある川に浮かべて流れる様子を見ると、先頭になって流れていくのが先、尾っぽになるのが根です。
同じ色と形の蛇の雌雄を見分ける
これは蛇の習性によるものです。
真綿を敷いた所に雌雄の蛇を這わせると、真綿から出て行くのが雄、そのまま真綿の上を這っているのが雌です。
同じ色と形の板の雌雄を見分ける
それぞれの板を水に放り込んで浮いたのが雄、沈んだのが雌だといいます。
姨捨山伝説は実際の出来事だったのか?
姨捨山にまつわる話は、実は、「事実に基づいた話ではない」という説が有力です。
確かに、山奥に捨てるにしても、捨てる側の命も危険にさらされるので、現実的な方法とは言えないかもしれません。
山奥に捨てるよりも、窒息などの方法を用いた方が確実だという意見もあります。
また、すべての老人が姨捨の風習に従うとは考えにくいですし、農業では、老人の働きを必要とする作業にも事欠きません。
子守や、収穫した作物の見張りなどで活躍してもらった方が有益だという見方もできます。
冠着山は、姨捨話の舞台となった山とされていますが、『大和物語』をはじめとした古い文献の姨捨話には、関連付けられそうな記述はあるものの、特定の地名や具体的な人物名は記されていません。
「姨捨山」の名称が与えられた理由としては、冠着山が、墓地の代わりに遺体を捨て置く場所として使用されていた時代があったことが関係しているのではないかと言われています。
さらに、かつて「おはつせ」と呼ばれていた地名が訛り、「おばすて」の音に転じたことが関係し、現在の「姨捨山」のイメージが出来上がったとも考えられています。
そのため、姨捨の風習が確立されていた事実は無かったようです。
ちなみに、各地に残る姨捨話は、古代インドの老人の知恵と親の愛を扱った話が起源だとも言われています。
ただし、アジア各国やヨーロッパにも、類似した姨捨話が伝わっているため真相のほどは定かではありません。
冠着山~楢山節考の風習、姨捨山伝説は実話だったのか?~ まとめ
有名な姨捨の風習の舞台と言われるも、そのような事実は無かった姨捨山。
各地に伝わる話は、年寄りを大切にしてほしいという想いから生まれたのかもしれません。