フジテレビの某ミステリー番組で、衛星写真に撮影された謎エリアを調査するコーナーがありますが、とある集落が見つかるのではと気になってしまいます。
足を踏み入れた者は、二度と戻ってこられない、外界との接触が一切絶たれた村「犬鳴村」です。
伝説の村はどこにあるのか
都市伝説でまことしやかに囁かれる「犬鳴村」の噂。
外界とは完全に隔絶されていて、「このさき日本国憲法は通用せず」の文字が書かれた看板が目印なのだとか。
しかし、話に聞くような集落は、本当にあるのでしょうか。
調べてみると、福岡県の宮若市と糟屋郡の境にある峠付近が候補として挙がってきます。
その一帯は、「あまりにも山深く、犬さえ越えられず悲しみ鳴いていく」という謂れから「犬鳴峠」と呼ばれているのです。
犬鳴峠の付近には、「旧犬鳴トンネル」の名称で知られる場所があり、そこを抜けた先に、問題の集落が存在しているのだと言われています。
「旧犬鳴トンネル」は、太平洋戦争時代に軍が使用するために作られたもので、人里から離れ、昼間でも薄暗く、人の通りも少ないため、出来上がった当初から心霊現象などオカルトに纏わる話には事欠かなかったようです。
現在は「新犬鳴トンネル」が出来たこともあり、旧道である「旧犬鳴トンネル」を人が通ることはありません。
さらに、ゴミの不法投棄場や暴走族の溜まり場と化してしまったため、入り口はコンクリートブロックで完全に塗り固められています。
もちろん、そこへと続く道も柵や鎖などで封鎖されているので、近づくのも容易ではありません。
しかし、人通りも絶えたであろう道なりを進み、閉鎖されたトンネルをつぶさに調べてみると、目立たない細道が見つかるのだそうです。
その細道こそが、日本国憲法が全く意味を持たない集落「犬鳴村」へと続く、唯一のものなのだとか・・・
都市伝説で囁かれる「犬鳴村」
「犬鳴村」の都市伝説には、いくつかのパターンが存在しますが、内容をまとめてみると、以下のような共通点があります。
- 情報が抹消されているため地図や行政記録には見つからない。
- 江戸時代から激しい差別を受けていたため、外界との接触は一切無い。
- 村の入り口に、「このさき日本国憲法は通用せず」という看板がある。
- 村への道には罠が仕掛けられてあり、引っかかると村人が襲ってくる。
- 過去に好奇心から村に入り込んだ若いカップルが惨殺されている。
- 村の広場に、破壊されたセダンが晒されるように置いてある。
- 近くに、死体が積み重ねられた山小屋がある。
囁かれている話のパターンの一部を紹介すると、次のようなものとなります。
犬鳴峠にある旧犬鳴トンネルを調べてみると、目立たない場所に細い脇道を見つけることができます。
そこを進み、途中で「このさき日本国憲法は通用せず」と書かれた看板があれば、村の入り口に立っているということです。
そのまま入り込んでしまえば、二度と戻ってこられないかもしれません。
噂によれば、犬鳴村に足を踏み入れて、返って来た者はいないのですから。
村の方へと進んでいくと、途中にロープと缶で作られた鳴子が仕掛けられていて、侵入者の存在を知らせます。
引っかかると、村人たちが斧や鎌を手に、追いかけてくるのだそうです。
逃れようにも、村人たちの足は異様に早く、たやすく取り囲まれてしまうのだとか・・・
携帯やスマホで助けを呼ぼうにも、この地域はすべて圏外。
警察に通報することもままなりません。
また、江戸時代に激しい差別を受けていたためか、日本の地図上からも抹消されていて、外界からは完全に隔絶されているのです。
それは法律の上でも同じで、日本政府から「特別保護区」として法律の適用外の扱いを受けていると言われています。
過去に島根県から旅行に来たカップルが、犬鳴村の付近で消息を絶っており、村の広場には無残に破壊されたセダンの残骸が晒されているとのこと。
目を凝らしてナンバープレートを読むと、そこには島根の文字が・・・
伝説の真相
歴史的な資料を見てみると、1691年から1889年にかけて、現在の福岡県鞍手郡にあたる地域に「犬鳴村」の名を持つ集落が存在していたことは確かです。
しかし、都市伝説で語られていたような事実は見当たりませんでした。
1729年に書かれた「犬鳴山故実」という地誌には、当時の犬鳴村の様子が記されていますが、江戸時代に激しい差別を受けていたという記録や、外界との交流を拒み自給自足の生活を送っていたという記録は残されていません。
また江戸時代後期に書かれた文献を読んでも、入り込むと命を狙われる危険な集落の存在は報告されていないことが分かります。
また、周辺で原因不明の死亡者や行方不明者などが出たという記録も発見されてはいません。
では、なぜ「犬鳴村」は姿を消してしまったのでしょうか。
その答えは、1889年に4月1日に施行された町村制度にありました。
周囲の村との合併吸収で、「吉川村」の一部となっていたのです。
その後、幾度かの市町村合併を経て、2006年2月11日に実施されたものを最後に、「宮若市犬鳴」として名前が地名に残されているのみです。
かつて「犬鳴村」があった場所は、ダムが建設されたことによって、水の底となっています。
犬鳴村の真相は、過去に実在した集落に、さまざまな噂が付随して都市伝説となったものだと考えられます。
流れる噂の内容を裏付ける証拠はなく、ただ人の想像力によって内容が膨らみ、全国へと広まっていったのでしょう。
犬鳴村伝説~日本国憲法が通用しない伝説の村はどこにあるのか?~ まとめ
行きはよいよい帰りは怖い、そんな歌が聞こえて来そうな「犬鳴村」伝説ですが、あくまで人の想像力の産物であったようです。
それでも、いつか衛星写真で集落が発見されるのでは?と、ついつい思ってしまいます。