刑務所での暴動、アメリカの映画やドラマなどではよく題材にされていますが、日本では暴動といったイメージはあまりありませんね。
刑務所の環境は国によってさまざまで、日本の場合、かなり扱いが良いというのを聞いたことがあります。
しかし、そんな日本でも、暴動脱獄事件が起こったことがありました。
637人の暴動が起こる
1947年9月6日に起こった静岡刑務所での暴動脱獄事件。
収容されていた囚人637名が参加し、9名が脱獄したという事件です。
あまりの人数の多さに、所内の刑務官だけでは対応できず、応援が駆けつけるまで傍観するほかなかったというほどの出来事でした。
脱獄した9名は、警察の張った非常線において、数日で逮捕されました。
では、この暴動事件の背景には、どのような出来事があったのでしょうか。
一説によると、戦時中に採用された「特警隊」という制度が関係していると言われています。
特警隊と暴動脱獄事件
特警隊とは、戦時中の人手不足を補うために採用された、「服役中の模範囚による刑務補助」を行う集団のことです。
刑務官が戦地に招集される中、1943年に試験的な運用が始まりました。
運用当初は大きな問題が生じることもなく、良好な結果であったため、全国でも採用されるようになったと言われています。
しかし、権力が与えられた模範囚は、じょじょに増長していくようになり、暴力的な集団へと変貌していきました。
静岡刑務所も例外ではなく、特警隊のリーダーであった人物は、数日中の仮釈放を「即日釈放」へと変更するよう刑務所長に迫るほどの横暴ぶりを見せていました。
所長に即日釈放の要求を拒否された特警隊のリーダーは、同じ特警隊仲間に働きかけて、刑務所内での暴動を扇動するという行動に出ました。
その結果、637人が施設内のあちこちで暴れることとなります。
特警隊のリーダーは、騒ぎに乗じて所長を脅し、トラックで脱獄を成功させます。
しかし、脱走から数日であえなく逮捕。
強要や障害、脱走の罪などで、刑期が10年以上も延長されてしまいます。
この事件をきっかけに、特警隊の制度も廃止となり、刑務所内での指導にも変化がもたらされたと言われています。
静岡刑務所暴動脱獄事件 まとめ
普通の人間に、看守役と囚人役という役割を与えて、行動の変化を研究した「スタンフォード監獄実験」というものがあります。
この実験において、看守役は、徐々に常軌を逸した行動をとるようになり、囚人役を精神錯乱の状態にまで追いやったと言われています。
最終的には、「権力を与えられた者と、力を持たない者が同じ空間で行動を共にすると、理性に歯止めがきかなくなり暴走してしまう」という結論が出された実験です。
静岡刑務所のケースは、まさにこの状態だったのかもしれませんね。