木内克 「私の作品は、世の中にみせようという必要品でなく真実を表現しようとする未完成な実験品です」
木内克氏は、流動する人間像に新しい生命感と豊かな量感を盛りあげ、アルカイック様式の作風から出発し、テラコッタ製作という今までの彫刻界には殆ど見られなかった次元の仕事を日本に持ち込んで、独特な形態を完成した彫刻家です。
木内克氏は、大正10年にフランスに渡ったときに先生から「日本美術界の新時代を作る人」といわしめた日本を代表する彫刻家でもあります。
「私の作品はすべて未完成のものばかりで 完成された作品というものはありません。」
テラコッタを自分で製作するということは、すべて自分一人で仕上げまででき、他人に手間の費用を支払う必要がないということである。
「ぼくは彫刻というものは宝石を入れる箱であると思っている。」
「芸術というものは写生そのものではなく、いろいろな味があったり、匂いがあったりするようなものだとおもう。その人自身がでてこなければいけないものだよ。」
「ぼくは小さい頃から動物ならなんでも好きだった。特に猫と馬はこの年になるまで好きだね。」
など、木内克氏による著書「木内克の言葉」には名言とも呼ばれる言葉が数多く書き綴られています。
木内克の彫刻が “ノリノリ”
ここで木内克の彫刻作品を見てみましょう!
なんだかノリノリ!
これも大胆でノリノリ!
徐々に乗ってきてますね!
顔はないけどノリノリ!
うわー! ノリノリ人魚だ!
ダンスなのかダイエットなのか? ノリノリ!
これなんかもうノリノリ!!
静けさからのノリノリ!
妙にノリノリ!
張り切りすぎ!
入ってますね!ノリノリ!
ちょっと間をおいて
最高にノリノリ!!ノリノリすぎ!!
このおじさんも乗ってますね!
木内克の経歴
木内克は、1892年6月27日、茨城県水戸市生まれ、彼の生家は代々医者の家柄でした。
木内克少年は、絵を描くことが好きで、学校卒業を目前にした20歳の時に退学して海野美盛から彫刻を学び、彫刻家の道に入ることになります。
後に朝倉文夫の彫刻塾に入門し、24歳で作家としての登竜門ともいえる第10回文展に出展して初入選を果たします。
その後、同展に毎年入選を重ね、29歳でフランスへ渡り、パリの研究所で彫刻を学ぶことになります。
滞欧中に木内克は、古代ギリシャのテラコッタ(素焼き)の小型彫像「タナグラ人形」をみて、テラコッタの持つおおらかで暖かな魅力に取りつかれることになります。
木内克氏は、このテラコッタの技法に習熟し、アトリエを上野に構えました。
戦時中は、沈黙していたが、昭和23年には創作活動を本格的に再開し、その力強く新鮮な表現は戦後の若い作家たちに強い衝撃を与えました。
代表作としては、1956年の「女」、1972年の「エーゲ海に捧ぐ」「女の顔」などがあります。
木内克略歴
1892年(明治25年)茨城県水戸市に4人兄弟の末っ子として生まれる。
1912年(明治45年)20歳で上京し、彫刻家の海野美盛のもと彫刻を学ぶ。
1914年(大正3年)朝倉文夫の彫塑塾に入門。
1921年(大正10年)渡英。半年間ロンドンに滞在し、その後パリにわたる。そこでブールデルの指導を受ける。
1927年(昭和2年)窯業家のラシュナルを訪ね、陶器を始める。
1930年(昭和5年)テラコッタ技法に習熟。
1935年(昭和10年)帰国。以後二科展などに出品。
1938年(昭和13年)「木内克作陶展」開催。
1948年(昭和23年)新樹会展に出品し始める。
1970年(昭和45年)第一回中原悌二郎賞受賞。
1972年(昭和47年)記録映画「土くれ」が完成。
1974年(昭和49年)第29回茨城国体モニュメントに「女神像」製作。
1977年(昭和52年)急性肺炎のため84歳で死去。
木内克氏は、小さい頃から動物好きで、猫を7~8匹飼っていた時もあり、彼の作品に多くの動物が登場します。
フランスのパリから帰国後には、彼自身がマジョリカを製作し、時計店に陳列し生計を立てていたといいます。
晩年の木内克は、子供の頃から絵を描くのが好きだったこともあり、バリ島、台湾、バンコクなどの様々な地域へスケッチ旅行へ行ったといいます。