ジル・ド・レ(Gilles de Rais)、本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァル (Gilles de Montmorency-Laval)といい、レ (Rais) は所領の名前を現しています。
最近このジルドレがモンストに登場し、改めて脚光を浴びることになりました。
ジルドレといえばジャンヌ・ダルクですが、ジルドレが悪魔のように落ち、残虐の限りを尽くした背景に迫りたいと思います。
ジル・ド・レは、フランス王国・ブルターニュ地方のナント近郊で1404年に生まれ、当時は、フランスとイングランドの百年戦争と呼ばれる戦争の真っ只中でしたが、ジル・ド・レの両親はともに貴族の出身であり、フランス西部一帯に広大な領土を所有するなど莫大な財産を持っていたので不自由なく暮らしていましたが、ジル・ド・レが11歳の時に両親が立て続けに亡くなったため、ジル・ド・レは両親が残した莫大な遺産を相続することになりました。
その後は、母方の祖父に引き取られたのですが、この祖父は少年愛の愛好者であり、後にジルが男色(ホモ)だったという説にも関わりがありそうです。
ジル・ド・レが同性愛者だったという記事はこちら
→ジル・ド・レは同性愛者!モンストで評価を得たジルドレだがホモ適正運極だった!
今回は、ジル・ド・レが闇の力へ落ちていく様をご紹介しましょう。
錬金術に熱中する
少年愛いや同性愛の方は、毎晩のように宴会を催し、少年が嫌がる姿をただ眺める行為を行っていましたが、ジル・ド・レは錬金術に熱中し始めることになります。
錬金術とは、鉄や銅など、質の低い金属を金に変化させる学問として有名です。
この時代では、それが本当に出来ると信じられていたし、錬金術は学問の一つの分野として定着していました。
人体の実験も同じように別の物質に変えられると信じられていました。
当然、錬金術を本気で行うとなれば、設備投資にもお金がかかります。
ジル・ド・レは、自分が引きこもっているティフォージュ城に実験施設を作り、錬金術師たちを招いていろいろと話を聞くところからはじめます。
ジル・ド・レは、錬金術について勉強した結果、錬金術を成功させるには悪魔を呼び出す必要があると考えました。
少年に対する同性愛と錬金術には相当な金をつぎ込み、みるみるうちにジルの財産は減っていき、手持ちの現金はほとんどなくなってきたころ、ジル・ド・レは両親や祖父から引き継いだ城や土地を売って金を作るようになっていました。
城も土地も宝石も美術品も次々と売っていくジル・ド・レに家族は「このままでは何もなくなってしまう」と不安を感じた家族は、フランス国王シャルル7世にジル・ド・レの行動を説明し、何とかジル・ド・レの自虐ともいえる金遣いをやめさせて欲しいと訴えたそうです。
ジル・ド・レは、フランス軍の元帥という立場であったから国王もその身を心配し、公文書として「ジル・ド・レの土地売買は今後一切禁止する。誰もジルから土地や城を買ってはならない。」と発表し、ジルの領地内に徹底して告知したものだからジル・ド・レにとってはたまらない。
しかし、それでも買う者がいたようで、ジル・ド・レは水面下で資金を作りながら自分の趣味につぎ込む日々が続きました。
同性愛(ホモ)と錬金術
悪魔を呼び寄せることが錬金術を成功させる秘訣であると考えたジル・ド・レはある日、イタリアの僧侶プレラーティを城に招きました。
当時、プレラーティは、錬金術と魔術で名をはせる大物でした。
ジル・ド・レが何回実験しても悪魔が現れないことにイライラしていましたが、城に招いたプレラーティに錬金術や悪魔のことについて質問してみました。
プレラーティが言うには、子供の生き血をささげなければ悪魔は現れないと言い、悪魔が現れれば錬金術だけでなく、永遠の命と莫大な富をもたらせてくれる「賢者の石」のありかも教えてくれるだろうとも言ったのです。
子供の生き血をささげるということは、少年を殺すということです。
なんとこれは、ジル・ド・レの趣味にぴったりと合うアドバイスだったのです。
この時からジルは忠実かつ積極的にプレラーティのアドバイスに従い、部下に命じて子供をさらって来させ、領地内で美しい少年を城の召使いとして雇いたいと申し出て連れて来られた少年たちは、風呂に入れられ、綺麗な服を着させられてジル・ド・レの元へと連れられ、ジル・ド・レは少年と部屋で2人きりになると、ベッドに座らせ、自分もすぐ横に座り、少年の肩を抱きしめて「君はかわいいね。」と言いながら顔や手に口づけし、なめまわすのです。
最初は戸惑っていた少年もだんだんと慣れ、雲の上の存在であるジル・ド・レのなされるがままになったころ、ジル・ド・レはそっとナイフを取り出し、少年の首目がけて思いきりナイフを突き刺すのでした。
こうして罪もない少年たちはジル・ド・レの趣味の犠牲となっていったのです。
ジル・ド・レの殺戮は、1432年から40年の8年間で数百人という子供たちの犠牲者がでたといいます。
直接ジル・ド・レに殺された少年たちだけでも600人から800人くらいはいると言われています。
これがいつのひか人々の噂にもなり「あの城は人を喰う」とか「ジル・ド・レは悪魔だ」と口々に言い合い、子供が連れて行かれた親たちは気が気ではなかったといいます。
しかし、ジル・ド・レは自分に対して権力を行使出来る人間を怒らせてしまったのです。
ブルターニュ公の報復によりジル・ド・レは逮捕され、1440年10月26日午前11時、死刑は執行され、ジル・ド・レは36歳という若さで、この世を去りました。
かなり残虐なまでの殺戮を行っていたようで、裁判では大変な騒動になったようですが、このブログサイトでは殺戮を助長するようなことは避けたいので、あまりに残虐な行為を書き示すのは控えます。
しかし、ジャンヌ・ダルクを失ったことで、これほどまでに残虐になった彼を貶し、嫌うのではなく、悲しい男として人々の記憶に残っているのが意外でもあります。
そんなジル・ド・レがモンストの光臨モンスターに登場し、ジャンヌ・ダルクはガチャ限定というのもうなずける気がします。
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