ジル・ド・レは同性愛者!モンストで評価を得たジルドレだがホモ適正運極だった!すまぬジャンヌ・ダルク!

ジル・ド・レ(Gilles de Rais)、本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァル (Gilles de Montmorency-Laval)といい、レ (Rais) は所領の名前を現しています。

最近このジルドレがモンストに登場し、改めて脚光を浴びることになりました。

ジルドレといえばジャンヌ・ダルクですが、ジルドレが悪魔のように落ち、残虐の限りを尽くした背景に迫りたいと思います。

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ジル・ド・レとは

Gillesderais1835ジル・ド・レは、フランス王国・ブルターニュ地方のナント近郊で1404年に生まれました。

当時は、フランスとイングランドの百年戦争と呼ばれる戦争の真っ只中でしたが、ジル・ド・レの両親はともに貴族の出身であり、フランス西部一帯に広大な領土を所有するなど莫大な財産を持っていたので不自由なく暮らしていましたが、ジル・ド・レが11歳の時に両親が立て続けに亡くなったため、ジル・ド・レは両親が残した莫大な遺産を相続することになりました。

その後は、母方の祖父に引き取られたのですが、この祖父は少年愛の愛好者であり、後にジルが男色(ホモ)だったという説にも関わりがありそうです。

 

ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レ

uploaded百年戦争の勇者として有名なジャンヌ・ダルクが突如として現れます。

ジャンヌ・ダルクは、19歳の女性でありがなら男装してフランス軍を率い、各地の戦争で次々とイングランド軍を打ち破っていったのです。

貴族の子として育ったジル・ド・レでしたが、このジャンヌ・ダルクに大層憧れ、1429年に王太子シャルルの紹介でジャンヌ・ダルクに宮廷で会うことになり、ジル・ド・レはジャンヌ・ダルクの威厳に圧倒され、その後の彼はジャンヌ・ダルクに忠誠を誓い、忠実な部下として数々の戦闘を一緒に戦うことになります。

フランスのオルレアンの街がイングランド軍に包囲されていた時に、ジャンヌ・ダルクの軍勢はジル・ド・レを指揮官としてこの戦闘に参加し、イングランド軍を撤退させてオルレアンの街を解放したこともあり、この後、王太子シャルルはフランス国王シャルル7世となり、ジル・ド・レはこれまでの戦績を認められてフランス軍の元帥に任命されました。

しかし、この後に戦闘に敗れてイングランド軍に捕えらることになったジャンヌ・ダルクは、火あぶりの刑で処刑されてしまいます。

 

心の穴を埋めるために同性愛(ホモ)に走る

憧れ、そして心の拠り所でもあったジャンヌ・ダルクが処刑されたことはジル・ド・レにとって大変な出来事でした。

モンストでは、ジャンヌ・ダルクが死んだ悲しみのあまりジル・ド・レがジャンヌ・ダルクの剣を抱く姿の画像になっています。

ジャンヌ・ダルクが死んで間もなくジル・ド・レは戦場から遠ざかるようになり、さらに祖父が亡くなるとまたもや遺産を引き継ぐことになり、元々大金持ちでフランス元帥としての収入もあったのですが、さらに大富豪とも呼べる大金持ちとなったのです。

こうしてジル・ド・レは、ジャンヌ・ダルク亡き後、巨万の富を抱えて自分の城で引きこもるようになっていきました。

ジル・ド・レは、巨万の富を使うために、いやジャンヌ・ダルクの居ない心の悲しみを埋めるように毎晩、豪勢な宴会を催し、聖堂を建てて少年たちによる聖歌隊を作り、その中から特に美しい少年たちを選んで宴会の席に連れて行き、全裸に近い姿をさせて客の酒の酌をさせたといいます。

聖歌隊を作った目的は、信仰のためというよりは自分の同性愛(ホモ)を満足させるためだったのではないかといわれており、さらに酒には興奮剤が入れてあったようで、興奮した客たちが少年たちを押し倒し、嫌がる少年たちがジル・ド・レに助けを求めながら客に全裸にされて犯される様を眺めることがジル・ド・レの性欲を掻き立てたといいます。
この後、ジル・ド・レが悪魔のような猟奇殺人者になった話の結末はこちら

→ジル・ド・レは悪魔のホモ錬金術師!~ホモ適正運極~

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