サンタクロースといえば赤い服にカールした白い髪に白い髭で大きな袋を担いでトナカイが引くソリに乗っているというイメージがありますよね。
しかし、サンタクロースの絵などを見てみると白い髭で袋を担いでいますが、赤い服ではないサンタクロースもいます。
では、なぜサンタクロースの服は赤が定番になったのでしょうか。
確かに真っ白な雪の中で赤いサンタクロースの服は目立ちますし、クリスマスのシンボルカラーといえば赤と緑です。
では、なぜ青、白、紫色などの服を着たサンタクロースが描かれているのでしょうか。
聖ニコラオス
サンタクロースは、トルコの聖人として知られる聖ニコラオスの事です。
ギリシャ語ではニコラオス(Νικόλαος)、ラテン語やドイツ語ではニコラウス(Nicolaus, Nikolaus)、スペイン語ではニコラス(Nicolás)など微妙に発音が異なります。
聖マリアをサンタ・マリアと言うように聖ニコラオスをサンタ・ニコラオスと呼ぶようになり、なまってサンタクロースと呼ぶようになったといいます。
聖ニコラオスは、ギリシア南部に位置するパタラという港町の裕福な家庭に生まれ、後にトルコ南部のリュキア地方のミュラの町で司教となり、六世紀にはキリスト教の聖人に列せられ、12月6日を聖ニコラオスの祭日としました。
サンタクロース
聖ニクラウスにはいくつかの伝説があります。
ニコラオスがまだ司祭になる前、ニコラオス家の近くに3人の娘がいる家族が住んでいました。
長女にあたる娘は、結婚したいと思っていましたが、結婚するための資金などなく、たいへん貧しかったため、娼婦にならなければならない状況にまで追い込まれていたというのです。
そのことを知ったニコラオスは、娘の家の煙突から金貨を投げ入れると、その金貨は暖炉のそばに干してあった靴下の中に入ったといいます。
このニコラオスが投げ入れたお金によって娘は救われ、結婚することができたといいます。
ニコラオスは、次女、三女の2人の娘のときも同じように金貨を投げ入れ、その家庭を救ったというのです。
三女の時、両親はもしかしたら又誰か金塊を放り込んでくれるかも 知れないと考えました。
両親は、金貨を投げ入れ貧しい家族を救ってくれた人に会って必ずお礼を言わなければと考え、深夜までずっと待っていると、両親は金貨を投げ込む人影を見つけ、それが隣人の若者ニコラオスであったと知り、感謝の言葉を言いましたが、ニコラオスは誰にもこのことは言わないようにと言って立ち去ったといいます。
この伝説、サンタクロースの話しとそっくりじゃないですか。
クリスマスに靴下をぶら下げておくとサンタクロースが煙突から入ってきて贈り物を入れてくれるという習慣は、このミラのニコラオスの伝説から生まれたと言われています。
トーマス・ナスト
アメリカ南北戦争以後、トーマス・ナストという政治イラストレイターとして活躍する画家がいました。
トーマス・ナストは、政治に関連するイラスト以外にサンタクロースの絵を描くという別の顔を持っていました。
トーマス・ナストが描くサンタクロースは、1863年に「ハーバーズ・イラストレイテッド・マガジン」誌上に掲載されたのをきっかけに、さまざまな雑誌に掲載されることとなり「トーマス・ナストのクリスマス絵画集」として編集出版されると、トーマス・ナストが描くサンタクロースは後に20世紀のアメリカを代表する雑誌「サタデーイブニングポスト」の表紙を飾ると一気に知名度を高め人気画家となりました。
さて、トーマス・ナストが描いたサンタクロースは、赤い毛皮の服を着ています。
なぜ赤い服かというと司教服だからです。
司教服の赤色は、自らの命をなげうってでも信者たちの幸せのために尽くすべきであるという司教の覚悟を示す血の色だといわれています。
サンタクロースのモデルである聖ニコラオスはミュラの司教だったから赤い毛皮の服で描かれたのでしょう。
コカコーラの広告戦略
ザ・コカ・コーラ・カンパニーが会社設立初年度1892年の広告費は、$14,000にも及んでいたことをご存知でしょうか。
コカ・コーラの広告費は、原材料費の半分を超えていたことになりますが、多大な広告費を投入してなお開拓できない市場があったのです。
それは、女性と子供たちです。
会社設立当時、コカ・コーラには麻薬(コカイン)や多量のカフェイン、アルコールが入っているという、暗くて悪い危険な飲料としてのイメージが、強くまとわりついていましたが、このイメージを払拭して、子供市場を開拓するために起用されたキャラクターが、サンタクロースだったのです。
当時のコカ・コーラ社は、サンタクロースは「子供のいるところだったら、どこへでも出かける」、コカ・コーラは「人間のいるところだったら、どこへだって売りに出かける」という趣旨のもと「Wherever I go」というキャッチコピーで1943年に広告用看板にサンタクロースとコカ・コーラが一緒に描かれ、サタデーイブニングポストの表紙で紹介される事でサンタクロースとコカ・コーラのイメージは出来上がっていったわけです。
司教服は赤、そしてコカコーラも赤。
これが巨大な資本力と特有の広告戦略で全米へ、さらには全世界へと広がっていったのが、今私たちが持っているサンタクロースのイメージになったといえるわけです。
ハドン・サンドブロム
サタデーイブニングポストでサンタクロースが表紙を飾ったのは、トーマス・ナストから始まり、ジョゼフ・C・ライエンデッカー、ノーマン・ロックウェルなどが有名ですが、コカ・コーラ社の広告にサンタクロースを描いたハドン・サンドブロムのサンタクロースは、「あどけない童顔」だったのです。
ジョゼフ・C・ライエンデッカーのサンタクロースは陰気に見えたので人気はありませんでした。
しかし、このハドン・サンドブロムの「あどけない童顔」のサンタクロースは、「家族で過ごすクリスマス」という生活様式の変化のシンボルとして女性層や子供を中心に受け入れられることなりました。
今の私たちが「サンタクロース」に対して持っているイメージは、ハドン・サンドブロムの描いたサンタクロースそのものといっても過言ではありません。
もしもサンタクロースがコカ・コーラ社のキャラクターとして採用していなければ様々な色の服を着たサンタクロースが世界中の人々のイメージになっていたのかもしれません。